どん久のカツカレー/緑が丘(どんぶりスコア16/20★★★★)

自宅の近くで美味しい丼モノを探していたら偶然に見つけました。
えっ、嘘こんなに近くにブラックカレーがあるとは・・・。
緑が丘駅前の〝どん久〟という定食屋さんです。

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中はL字カウンター席のみ。10席位です。
和服で割烹着の女将さんがひとりでやっています。
東工大がすぐ近くなので普段は学生さんでいっぱいですが、今日は土曜日。学生さんぽい人はいませんでした。
定食が安い。
先客が頼んだ牛焼肉定食はボリュームあるのに850円。
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どん久のおすすめ品は味自慢の〝カツカレー〟。値段も800円。
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ネットの写真はどう見ても〝ブラックカレー〟。カレーと言えば黄色が定番。世の中、黄色のカレーが圧倒的です。それはカレー粉の成分にターメリックを使うことが多いから。でも、カレーにターメリックを使わなければならないという決まりはありません。ブラックカレーが存在します。有名なのは、日本で初めてブラックカレーを作った西洋料理の〝東洋軒〟。三重県津市に本店がある東洋軒は明治22年に東京・三田四国町、現在の芝2~5丁目あたりで開業しました。関東大震災を機に〝東の魯山人・西の半泥子〟と並び称された百五銀行の頭取〝川喜田 半泥子(かわきたはんでいし)〟が東洋軒を津に誘致しました。ブラックカレーは、東洋軒初代料理長〝猪俣 重勝〟に半泥子が作らせたのが始まりです。
他にも、〝金沢ブラックカレー〟や〝富山ブラックカレー〟が有名です。
 
逸る鼓動を抑えて待ちます。黒に合わせて〝黒ラベル〟。
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目を上げると可愛い猫の陶器。
片口にしては大きすぎるし・・・。
女将さんはよく分かりませんが金魚鉢ではないかなあと。
Googleの画像検索を使うと一発で解明。
果たして〝陶器 覗き猫の金魚鉢・洋蓮柄〟でした。女将さん正解
猫好きの女将さんは何年か前まで実際に猫を飼っていたそうです。最近は体力がないので諦めたとのこと。
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遂に登場
どう見てもブラックカレー。
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サラダは、2種のパスタ入り。そして白菜の漬物とたくわん。特に、白菜は価格高騰でとんでもない価格になっています。
でも高い白菜の漬物を残す若い人が結構いるそうです。たくわんは食べるのにと。寂しそうに言います。漬物を子供に食べさせる家が少なくなっているのかも知れませんね。
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カツもこの値段では考えられない大きさ。肉厚もあります。
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味自慢の看板に偽りなし。
ブラックカレーは都内では珍しいですよと女将さんにお聞きしましたが反応はいま一つ。
2006年に亡くなったご主人が全てのお料理と価格を決めていたそうです。これもご主人から赤ワインを入れるように教えられたそうです。だから無くなって12年経った今もずっと同じメニューと価格を守っています。儲けるつもりもなく一人だからお客さまが多く来て貰ってもやって行けない。来ないと困るけど・・・、と控えめに仰っていました。
創業44年になる〝どん久〟。どんはゼロ意味し、久は9。つまり0-9の全ての数字を表しているそうです。さすが理系の雄〝東工大〟の学生たちが押し掛ける店です。
開店当初に来てた学生も今や定年退職の齢。中には他大学の副学長になった学生もいるそうです。
最近の学生はみないい子ばかりです。孫みたいな可愛い子ばかりです
と目を細めます。可愛い学生を見てると値段も上げられないと言う女将さん。
でも東大生の親の平均年収は1千万円というご時世。気を遣い過ぎかと(笑)
先日も19歳の時から通ってくれた学生さんが結婚相手を連れてやって来ました。その彼女は彼よりずっと年上でした。
きっと今の男子学生は女性のしたたかさをあまりに知らな過ぎるのでは・・・。女子学生も来ますが会話の内容は男子学生の方が子供っぽいですよ。(笑)
女性の女将さんが言うのも面白いですねと返しました。
夜も値上げを忘れた居酒屋。1合350円の会津の美味しい純米酒もありました。今度は夜に来ようっと。

かつ壱のカツカレー/目黒駅前(どんぶりスコア17/20★★★★)

 カツカレーの発祥については以前もお話しましたが、銀座の洋食屋〝グリルスイス〟です。東京読売巨人軍の千葉 茂選手がとんかつとカレーの2品を注文してカレーの上にとんかつを乗せて出すように注文したのが最初と言われています。店主の岡田義人さんが以降、メニュー化したため世間に広がったそうです。

 カツカレーは何処で食べるでしょうか
カレー専門店、蕎麦屋、洋食屋、喫茶店・・・。色々あるでしょう。でも美味しいとんかつにこだわるならとんかつ屋がいいに決まってます。
 毎日行列の絶えない目黒のとんかつ屋〝かつ壱〟。創業30年を超える老舗。近くには、名店〝とんき本店〟〝大宝〟もあります。とんきの開店は16時。しかもとんきも大宝もカツカレーはありません。どうしてもカツカレーが食べたい それならかつ壱へ・・・。
  目黒駅前のビルの地階。到着は12時30分。入店出来たのは13時近くでした。でも美味しいので待ちます。
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大きなロースカツの乗ったカツカレー。山盛りのキャベツのサラダ。そしてお新香が付いて950円は嬉しい価格。
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厚さは3㎝近くの肉厚。食べ応え十分。
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見よこの厚さ カレールーもスパイシーで大人の味。甘い脂はロースカツならではの美味しさ。

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とんかつは目黒に限る。

 

河金のかつカレー丼/入谷

 カツカレーの元祖は、〝銀座グリルスイス〟と言われています。その発祥ストーリーに巨人軍の千葉茂氏が関わった話は有名です。ところが、「かつカレー丼」の元祖は銀座グリルより30年以上前の浅草の洋食屋〝河金〟ということが言われています。その河金本店は大正7年創業。お店は浅草の国際通りにあり、江利チエミさんら多くのファンがいたらしいです。本店は、閉店しましたが支店が入谷にあります。その支店の〝河金〟も創業50年になる老舗です。言問通りを挟んで入谷鬼子母神と反対側の露地裏です。

 

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〝河金丼(750円)〟というのが元祖かつカレー丼のことです。
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 壁にメニューが貼ってあります。〝七〇匁(もんめ)カツ〟というのがあります。1匁は3.75gです。70匁は262.5gですね。本店は戦後間もなく百匁(375g)カツで有名になり〝匁カツ〟と呼ばれていたそうです。当時の豚肉の仕入れに進駐軍関係の精肉店の協力があったそうです。河金の屋台時代から江利チエミさんは常連客であり、もしかしたら進駐軍のキャンプで絶大な人気のあったチエミさんに忖度が働いていたのかも知れませんね。
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かつカレー丼が出来るまでビールとポテサラで待ちます。
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丼鉢に盛られたかつカレー。

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肉は柔らかなヒレカツでした。

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かつとごはんの間にキャベツが敷かれています。
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女将さんにお聞きすると本店でかつカレー丼が出来たのはホントに偶然だったそうです。

麻雀屋に出前を頼まれてカレーととんかつを出前に行ったらお客さんが、
これ次回からご飯の上に一緒に盛って来てよ、と言われたのがきかけだと聞いてます。
かつカレーという世紀の発明も、実はこんなに単純なことがきっかけかも。
そう言えば、親方はお弁当を出前に行っちゃいました。今でも、ご近所さんに愛される庶民的なお店なんですね。
カレールーもとんかつも美味しかったですよ。
次回は百匁カツにチャレンジしてみたいな。

千楽のハヤシかつライス/沼津

膝の手術の直前。

沼津勤務時代に大変お世話になった取引先の社長の訃報でお通夜に出掛けました。
思い出すと、社長ご夫妻に沼津の美味しいお店に色々連れて行って頂いたり教えて頂きました。沼津の食の恩師でした。
 沼津は東京からも近く、沼津魚市場周辺はグルメタウンとして最近人気が高まっています。ここにいらっしゃる多くの観光客の目的は〝海の幸〟。沢山の寿司屋や魚料理屋が並んでいます。しかも値段が安い。量も多い。グルメツアーの観光バスもいっぱいやって来ます。
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 でも僕ら沼津出身者はあまり港近くのお店に行きません。沼津の美味しい店は〝餃子の中央亭〟。〝天丼の伊豆屋〟。〝寿司の山正〟も沼津駅の近くです。〝うなぎのうなよし〟。〝蕎麦のふく田〟。〝惣菜パンの桃屋〟等々。
 そして〝洋食の千楽〟。〝せんらく〟と読みます。昭和4年創業の洋食屋老舗。
本店は沼津駅南口から徒歩12分と少々遠い。沼津駅北口の北口店が駅から近いので最近は北口店の人気が高い。
でもやっぱり本店は趣があっていい。
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 この千楽の店名。僕は〝ちらく〟って読んでしまい、いつも〝4代目柳亭痴楽(ちらく)〟師匠のことを思い出します。
戦後一番早く真打に昇進した痴楽師匠は自らを〝破壊された顔の持ち主〟と言いながら
柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助 それよりずっ~といい男
の軽快な七五調のフレーズで日本中を席巻しました。
 義太夫出身という異色な存在でしたが(5代目)柳家小さん、(3代目)三遊亭可笑と若手三羽烏として人気を博しました。親友でライバルの可笑さんの突然の事故死による代役がきっかけできっかけでさらに人気が高まりました。痴楽師匠の七五調は亡くなった可笑さんのネタの影響を受けています。
〝痴楽綴方狂室〟、〝恋の山手線〟は伝説の名演です。
伝説の名演にご興味の方は⇨ https://www.youtube.com/watch?v=BeWXn6_I0aI&feature=youtu.be
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 暑い日でした。お通夜まで6時間もあるので喉を潤しておきましょう。
社長は下戸でしたが、奥さまがいつも相手をしてくださいました。
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 一番名物の〝カツハヤシ〟は分厚い豚肉で低温でじっくり揚げるのに時間が掛かります。
待ってる間にキャベツの漬物。
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 登場です。
でかい
これで普通盛り。大皿からはみ出しそう。
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 衣が薄くて肉が分厚い。理想的なとんかつ。
ハヤシライスのデミグラスソースも少し酸味と苦味が加わり、たくさんの量でも飽きのこない美味しいソースです。
 ところでハヤシライスを考案したのは「丸善」の創業者・早矢仕 有的(はやし ゆうてき)氏。彼は医師で滋養強壮の病院食としてハヤシライスを考案したという説があります。明治元年に彼は個人医院を開業して患者に食べさせたそうです。しかしデミグラスソースが日本に来たのは明治30年。彼のハヤシライスは当初、醤油や味噌で味付けされたと言われてます。今でも日本橋の丸善で元祖・ハヤシライスが食べられます。
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 この分厚さを見よ
柔らかくてジューシーな旨いとんかつです。
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華麗麺麭はいい男。アンパンマンよりいい男。

何じゃ、それ